
軽井沢、最後の晩餐にして、最後の聖戦!
さぁ、軽井沢最後の夜だ!優雅なディナーで締めくくろう!(*001)
と勢い込んでみたものの、妻の腰痛とまた襲ってきた底冷えの寒さから、ペンションの近くで、とっても素敵なレストランを見つけるのは、何故かフリーペーパーガイドがあってさえも難しかった。ともかく妻だけ一度ペンションに戻して、一休みさせつつしっかりと防寒対策をさせた。僕はその間、近場でどこか素敵なレストランがないか、すっかり日の暮れた軽井沢の目抜き通りをすさまじい勢いで自転車を走らせていた。
もうこの時間帯になると、観光用のレンタルサイクルにまたがっている者はおらず、僕がこの日軽井沢最後の最速走駆者だったに違いない。・・・ちょっと恥ずかしいけど。
いろいろなお店に行ってみたが、ガイドに出ている雰囲気と実際の店構えになんとなくギャップを感じて、尻込みしてしまったのが僕の失敗だった。正直、しょぼそうな店前に立つと、フランチャイズのお店のような感じを勝手に作り上げ、敬遠してしまう。(*002)
そしてそのくせ、軽井沢ならでは味を求めるという高望みを抱いていた。そうしながらも、ここなら!と思えたのが、キッツ ビュールだ。もっと足が伸ばせれば、いくらでも満足行くレストランがあると思うのだが、ペンションから近くという条件では、キッツ ビュールだけのように思えた。
さっそく妻を携帯電話で呼んで、ディナーの前に、ママダサイクルへ自転車を返しに行った。もうお店は閉まった感があり、申し訳なさそうにサッシドアを開け、お昼とは別人のお店のオジサンに自転車を返すと、何の確認もされないまま自転車を受け取っていた。極めて朴訥で暢気でどんとこいといった感じが素敵♪
しかし素敵♪だったのはそこまでで、キッツ ビュールに行くと、人気店であるということと、軽井沢の夜は営業時間が短く、遅くまで開店しているレストランが少ないということもあって、残念ながら満席だった。
お店を後にして、他のお店を探しながら時間を置いて、また行ってみようじゃないかということで、寒い通りを昼間歩いた旧軽井沢銀座通りへと入っていった。(*003)
昼間とはうって変わって閑散としていた・・・のは、当たり前で、関東のように24時間営業しているのは、コンビニくらいなのだから。しかしまだ夜8時ぐらいで、営業を終えているのは寂しい、寂しすぎるゾ、軽井沢!と遠吠えしても、レストランがあるわけではなく、様々な店舗が入っていた雑居ビルであるチャーチストリートまで出かけて、入っている店舗を見てみるとやはり営業終わっているかフランチャイズ系のようなものでしかなく、不発に終わる。
仕方なしに最後の望みをかけて、キッツ ビュールに戻って見ると、はやり満席・・・。軽井沢最後の夜は冷え込みを強めながら、どんどん更けてゆくのだった。
そして更けゆく夜にどんどん体力と気力と選択肢を無くしながら、アメリカのチェーン系ステーキハウスみたいで、入る気がしなかったレストラン、ボンジョルノだったが、もう大味かもしれないが肉だっ!激しく、肉だ!ゆるぎなき大いなる肉だ!と慟哭しつつ、最後の夜も「肉」で締めくくろうとした僕達だった。
と意気込んで店内に入ろうとすると、2人の青年が憤慨しながら、「ふざけてるよっ!!ありえねぇよ!!」といいながら語気も荒く店外へ出て通りを足早に去っていった。(*004)
もともと気乗りしないのに意を決して乗り込もうとしたのに、かなり気持ちは後じさりしていまい、「何っ!?何っ!?何なの、今は、店の中で何が起こったの?!」という気持ちがむくむくと湧いて躊躇する始末。・・・僕の失敗はここで、軽井沢の地物の味とか、フランチャイズがどうのこうのとか、こだわりを取っ払って他のレストランを探せばよかったのだが、軽井沢最後の夜に、妻に何か特別なディナーで楽しませたいという気持ちが強すぎてしまった。
何がとにかくだか今となっては定かではないが、とにかく入ってみることに決めた。店内に入ってみると、特に不始末があるようには感じられないが、先ほどの客を怒らせるだけの何かがある予感いっぱいで、席についた。窓際の席に付いたのだが、そのような偏見がなければ、まぁそれなりに雰囲気のいい席だったかもしれない。ちょっと油っぽさを感じたが。・・・しかも直ぐ側のストーブの天板の上に、結構作りのいい見様に寄っては本物に見える猫のオブジェらしいものが乗っかっていて、のんびりした猫の表情とは裏腹に、ストーブの上で猫が焼かれるために置かれているように見え、ぎょっとした・・・。(*005)
メニューで「ステーキ」と「シーフードミックス鉄板焼き」を決めて、店員の女の子を呼ぶためにそっちを見て、視線を合わせると睨まれた。ちょっと気になったが呼ぶと、その店員の女の子はメニューを聞いて厨房の方へ。用事があるから呼ぶに決まっているので、すでにここでこの女の子は、何か違うという雰囲気を抱かせた。・・・もちろんいい意味ではなく。
注文を終えてから、しばし妻と落ち着かない気分でいると、突然後ろの席で、「もう信じらんないっ!!!すっげぇー、ムカつくぅ!!」(*006)という、若い子のお客の憤り100%の声が店内に響き渡った。そのお客のコの憤慨の様子から、注文した料理がいつまでたってもこなかったらしい。同席の家族は、すでに先にきたものを食べ終えちゃっていたらしいのだ。ぷりぷりと席を立って、店を出て行く。
次の犠牲者は誰だっ!といった感じで、店内が緊張。。。
そしてその犠牲は、我々も少しばかり強いられることになった。どうやら先ほどから続く店内の不協和音のもとは、我々が注文を取り次いだあの女の子の店員だったのだ!!!
店主だかなんだか定かではないが、年配の女性が「すいませんねぇ、新人のバイトなもので・・・。」と他のお客に説明をしてまわったいたが、厳しいことをいえば、申し訳無いという気持ちからというより、周りを取り繕うためといった感じ。
ますます嫌な気持ちが高まり、僕の口からは今にも「出ようっ!」と言う気持ちが飛び出そうになっていた。そして他のレストランがこの冷える寒空の下で見つかる可能性が低いということと、あまりここに居たくないという激しい葛藤の中で、かろうじて言葉を飲み込んだ。飲み込むべきではない言葉を。。。
まずみじめなサラダがドレッシングがかかってない様子で、あの問題の女の子店員に持ってこられた。それで先ほどの年配の女性の店員に、「これドレッシング、かかってます?」と聞くと、「えぇえぇ、ドレッシングかかってますか?」と反対に聞かれた。わからないから聞いたんだろうが!!!!そしてその対応中にまじめそうな男性店員が、「失礼しましたっ!」と言って、ドレッシングの入った小皿を持って来る。その場に気まずい雰囲気が広がる・・・。(*007)
そしてステーキが出てきた。焼きすぎで薄くなっていた。いやもともと薄いのか???付け合せの野菜は、外はこんがり、中はしっかり芯が残っている。いわゆる生焼け。
極めつけは「シーフードミックス鉄板焼き」!まず何のごった煮だよっ!といった感じの見てくれ!味が染みていない焼き具合・・・。食べにくいすべてが殻つきの海鮮食材・・・。
さきほどのいい加減な年配の女性店員は、目のあった席のお客に手当たり次第に、わけのわからない内容の無い愛想を振りまいている。
こんな散々なもてなしと料理とで、6000円以上(税込み&被害込み)も取られて、散々な気持ちで僕は店外へ出たが、妻はそれなりに美味しそうに食べて、僕を気遣ってか、見た目には特に悲観的になることもなく、何事もなかったようにしていた。出来た妻だ、ふっ。
実は僕はいままで、そのさほど短くはない人生の中で、こうした「外れ」に当たったことは無かったのだ。嬉し恥ずかし!初体験!である。よく友達が「ひっどい店でさぁっっ!!」というような体験談を、別世界でのことのように聞いていたものだった。
店外の風がことさら寒く、僕の体を吹きすさぶ。。。口直ししようにも、いまからしっかり楽しめるところなんて、見つかりそうに無い。こういうときどこの駅にでもある、チェーン系居酒屋はてっとりばやくていいのだが、この軽井沢にはいまの時点では無い・・・。(*008)
こうなれば!こうなれば!ぼくらのほっとステーション!ローソンで、買い込みだ!!!ということで、大きく輝く金星の下、一路ローソンを目指した。
軽井沢のローソンには、ご当地ビールである「軽井沢高原ビール」が販売されていたので、今日と言う日に買ってみた。3種類セットのパッケージ商品があったので、これをチョイス。一本づつのものを買うより、ほんのちょっと安かったようだ。そしてペンションへ戻ったのだが、夜のあまりの冷え込みに、なんとローソンで買ったときより、ビールが冷えてしまっていた・・・。
ペンションに帰って、疲れすぎた足を休めながら、この恵比寿ビールより高い「軽井沢高原ビール」を試す。軽井沢では、一番呑まれているという、どう考えても信じがたいコピーが付いている。うまいがやっぱり僕が疲れていたのか、その時の味の感想を述べても、極論に走ってしまいそうで今回はパスしよう。
あの地獄のボンジョルノが、味覚を狂わせたのか!?
とにかくそんなくだらないことを考えているほど、軽井沢の最後の夜は長くない。楽しかったこと思い出し妻と笑い、ちょっと問題だったことに苦笑いをしながら、それらのことを味わうように、ゆっくりとビールとともに飲み下したのだった。(*009)
旅は問題が起きたときほど、楽しみがいがある、そんなときに人間としての価値が見出せる・・・、というのは思い出せるようになってから言えることが多いが、しかしこれは真実で、毎日の普通の生活のための姿勢にも必要なことだ。
毎日の平坦に思える生活を新鮮に喜びや見出しつつ、ちょっとしたイベントを作り続けていくことや、不慮の障害が起こった場合に冷静に対処し、悩み苦しむ者の中にあって共に戦い、笑顔でもって接する姿勢、・・・それらに人生の意義を見出し、そこに幸せの基盤を置くことに、僕は心を寄せる。
特に旅という、いつに無い事の連続の中に過ごすとき、自分の反応・感想・行動がどのようなものであったか、よりはっきりと知ることができる。
観光地を楽しみながら、観光地で自分と妻を楽しむという、客観的な思索の中を漂いつつ、静かな静かな眠りについたのであった。
